特別展「世界の発酵食をフィールドワークする」

おわりに 「フィールド発酵食品学」の創出に向けて

人びとの文化的な営みとして発酵食品がつくられ、消費・販売されている様を研究者のフィールドワークから紹介するだけでは、発酵食が持つ有用な機能、また発酵食をつくるためにドメスティケートされた有能な菌の解明に繋げることができません。人類は発酵食といかに付き合い、そして世界各地の貴重な発酵食品をいかに保存していくかといった、重要なテーマに、学問分野の垣根を超えて取り組むことが求められます。

「フィールド発酵食品学」の創出

発酵食の研究には、世界各地でフィールドワークを行い、微生物を働かせて発酵食品をつくる人びとの技術や知識を、地域の自然環境、歴史、文化、社会的背景から明らかにするフィールドワーカーと、最新の設備が整った実験室でどのような菌やカビが発酵に関わっているのかを分析する微生物学者が関わっています。フィールドワーカーも微生物学者の研究を参照し、一方の微生物学者も世界各地で見つかった新たな微生物を分析することで学問分野が発展してきたという点において、フィールドワーカーの情報を参照してきました。

そこで、フィールドワークと実験室という2つの根を有する発酵食の研究を融合する「フィールド発酵食品学」を創設して、その研究を推進することが重要です。その枠組みは、図1に示す構造になっており、以下の3つの研究視点に集約されます。

1点目は、自然環境に応じた生業より得られる産物を原料として、さまざまな発酵食品をつくってきた人びとの営みを環境との関係から解明する枠組みです。近年の市場経済の浸透やグローバル化のような社会経済環境の変化にともない、農水畜産物が工業的に生産されるようになっています。それが地域の食文化、さらにはローカルな発酵食品の生産にも影響を与えており、その変化に注目した「環境レジーム(体制・制度)」を明らかにする視点です。

 2点目は、調味料、保存食品、嗜好品、そして儀礼・祭祀における供物など、幅広い利用と役割を担う発酵食品に関わる各アクター(生産者や消費者など)の伝統やアイデンティティーといった文化とそれを成立させた技術に注目した「生活文化」を明らかにする視点です。

 3点目は、発酵の成否の判断基準となる味、そして発酵食品の摂取による身体への効果を解明し、それらを生産・利用するために培われてきた「在来知」と、より有用な発酵微生物が選抜されてきた「ドメスティケーション(家畜化・栽培化)」との関係性を明らかにする視点です。

 これら3つの研究視点には、微生物学の研究者が参画し、微生物の菌叢分析を行うことで、健康を維持する微生物と在来知との関係を科学的に立証します。加えて、微生物学の視点から、発酵食品に関わる微生物を生産地で保存し、伝統的な製法・品質の保全とともに、新たな利用方法の開発を目指す応用研究を進めることも期待されます。発酵食は、人びとの食文化を豊かにし、民族のアイデンティティーを表象し、健康を保つだけではなく、フィールドワークと実験室を結ぶ新たな研究を創出する重要な研究テーマとなる可能性を秘めています。