特別展「世界の発酵食をフィールドワークする」    第1部 主食としての発酵食

主食となる発酵食品といえば、パンを思い浮かべる人が多いと思います。パンと聞くと、酵母で発酵させた柔らかく膨らんだものだと思われがちですが、世界には多様なパンが見られます。エチオピアでは、パンケーキのような乳酸発酵させた酸っぱいパンを主食としている人びとがいます。また発酵食となる主食はパンだけではありません。同じくエチオピアでは、穀物をアルコール発酵させたお酒を主食として飲む人びともいます。穀物から安全に必要な栄養を摂取する方法として、発酵は人類の生存に重要な役割を果たしています。


1章.酸っぱさに憑かれた人びと エチオピアのパン類をめぐって

アフリカ北東部にあるエチオピアは、日本とほぼ同じ人口のアフリカ第2の大国です。80を超える民族の多くは海抜2000m前後の高地に暮らしています。この地には他にない珍しい作物と発酵食品があり、土地の人びとに好まれています。

ユニークなパンケーキ-インジェラ

エチオピアを代表する発酵食品にインジェラがあります。発酵させた液状の生地をクレープ状に薄く焼いたパンケーキで、豆や肉を煮込んだソースとともに食べるエチオピアの国民食といえるものです。主たる原料はテフ(Eragrostis tef)という粒の大きさが1mmほどしかない雑穀です。エチオピア(とエリトリア)でしかほとんど栽培されておらず世界的にはマイナーな作物なのですが、じつはそれらの国土では最も広く栽培される主要穀物だったりします。テフが広く栽培されるのにはインジェラの高い人気があることはたしかでしょう。

 インジェラはテフ以外でも作れますが、スポンジ状の独特の食感を出すにはテフが欠かせまぜん。

皆でインジェラを囲んで座り、手でちぎりながら食べます。エチオピアのどんな田舎町の食堂にもインジェラはありますが、その酸っぱさとかけるソースの辛さで旅行者にはとても刺激的な食べ物のようです。

エンセーテのフラットブレッド(平焼きパン)-キッタ

少数民族が多く暮らす西南部地域にはエンセーテ(Ensete ventricosum)というバナナと同じバショウ科の作物が栽培されています。ただしバナナのように果実を食べるのでなく、でんぷん質の根茎、つまりイモを主に食用にします。3年以上で収穫できますが、その重量は数十キロにもなります。収穫した日に蒸かして食べることもありますが、イモを粉々に砕き、茎のように見える部位(偽茎)から抽出したパルプと混ぜて数週間発酵させてよく食べます。

 調理の仕方はいろいろですが、多いのは焙烙という円平な土器で焼くフラットブレッド(平焼きパン)です。エンセーテを栽培していないところでは穀物で作り、エンセーテの発酵でんぷんを用いる場合もコムギなどの穀物粉をしばしば混ぜて作ります。キッタの名で知られ、民族により形状や重要性に違いありますが、おかずと一緒に食べる農村の日常食として欠かせないものです。

エチオピアのサワーブレッド―アバーシャ・ダッボ

エチオピアには発酵種を加えて発酵させるアバーシャ・ダッボと呼ばれるパンもあります。主な原料はコムギで、発酵させた生地を2枚の焙烙で挟み、上下から強火で焼きます。1時間以上かけ出来上がったパンは厚さ10センチほどに膨らんでいます。

 アバーシャ・ダッボはインジェラやキッタと異なり、おかずなしでこれだけで食べるのが基本です。インジェラやキッタより乳酸発酵が進んでおり、酸っぱいという特徴があります。こうしたパンをサワーブレッドといいます。

 ただ不思議なことに現地の人たちは酸っぱいとは思っておらず、むしろ味わいがあり、満足感の得られるおいしい食べ物と認識しています。祭日などめでたい日の食事ですが、近年は市場の日などにも売られるようになっています。



2章.酒を食事とする暮らし ネパールとエチオピアの人びと

人間は紀元前から酒を醸造してきました。人間関係の構築や権威の明示、富の分配、労働報酬、楽しみなど、酒の役割は多岐にわたります。酒は栄養源としても優秀で、ネパールのネワールやエチオピアのデラシャとコンソは、世界でも稀な酒を主食にする食文化をもちます。

コメの酒を食事や緊急の栄養補給源とするネワール

ネワールは、南アジアのネパールの首都カトマンズとその周囲の盆地一帯に暮らしています。ネワールが主食とするのは、コメに麹を加えて糖化し、アルコール発酵した白い醸造酒トンです。彼らは、朝食や夕食にとして、蒸したコメと豆のスープ、野菜のスパイス炒めか青菜の塩茹でで構成されるダルバートと呼ばれる定食を食べながら、トンを飲みます。1日の飲酒量は1.5~2 kgにものぼります。

 また、トンは栄養欠乏時のエネルギー・ドリンクとしても用いられます。田植えや収穫などの農繁期には、ダルバートよりもトンが飲まれます。人々は畑にトンを持って行き、農作業の合間にトンを飲みます。「立ちくらみがしたら、トンを飲めば良い。トンを飲んで、木陰で休めば、体調は良くなる」と語り、緊急の栄養欠乏時でのエネルギー・ドリンクとしても飲まれています。

モロコシの酒を主食とするコンソ

北東アフリカのエチオピアにも、酒を主食にするコンソとデラシャの人びとが居ます。コンソは南部に暮らす農耕民で、モロコシを発芽種子で糖化した白い醸造酒チャガを主食としています。

 コンソは1日に3、4回の食事をしており、そのうち2、3回目では、青菜と一緒に茹でた穀物団子や芋類、豆類、野菜類をつまみながら、チャガを飲んでいます。おつまみとして人気があるのは、塩茹でした豆類や唐辛子です。畑で食事を摂ることも多く、その場合は畑に生えている唐辛子を齧りながら、チャガだけを食事として飲みます。コンソは「チャガが一番好き」と語り、様々な食品を口にしつつも、最も摂取量が高いのはチャガで、老若男女問わず1日平均2kg飲んでいます。

モロコシの酒を唯一の総合栄養食とするデラシャ

一方、コンソに隣接して暮らすデラシャは、モロコシに植物葉を加えて乳酸発酵し、発芽種子を加えて糖化してから、アルコール発酵した緑色の醸造酒パルショータを主食としています。酒を飲みながら、穀物団子や無発酵パンなどの固形食をつまむことがありますが、これらの摂取量はわずかで、飲酒量は5 kgにものぼります。デラシャのどの村でも、家や広場、寄り合い所、畑などいたるところで酒が飲まれています。デラシャの酒への愛は強く、「酒を毎日飲めることこそが幸せである」と語ります。

大量に酒を飲んでも健康

こんなに大量に酒を飲んで健康を損なわないのかと不安になるかもしれません。しかし、主食とされる酒はいずれもアルコール濃度が4%以下と低く抑えられているうえ、ゆっくりと時間をかけて飲むので、酩酊したり、健康を損なっている人はいませんでした。