特別展「世界の発酵食をフィールドワークする」第4部 嗜好品としての発酵食

発酵食品は、主食となり、また主食の副食となり、人類にとっての栄養源としての役割を果たしています。しかし、日本では免疫力を高めるとして発酵食品が近年ブームになっています。モンゴルでも馬の乳を発酵させた馬乳酒が健康に良いと飲まれています。発酵食品は、それを食べたり飲んだりすること自体が楽しみであり、コミュニケーションの手段となり、リラックス効果を高めたり、健康増進を期待したりするものとして、栄養摂取を目的としない嗜好品としての利用も世界各地で見られます。


8章.茶を漬けて食べる タイ北部の「噛み茶」文化とその変容

「漬物」と聞いて、どんな食べ物が思い浮かぶでしょう?ヒトは、食物の風味をよくするため、長期保存するため、調理に使うため、あらゆる食材を発酵させてきました。私たちになじみ深い漬物も、そうした知恵と工夫の結晶といえるでしょう。ここでは、「チャの葉の漬物」を食べる人、つくる人、それぞれの姿とその変化を紹介します。

お茶の漬物

人は、ツバキ科の植物であるチャ(Camellia sinensis)の葉を加工することで、緑茶や紅茶、ウーロン茶など、さまざまな茶を生み出し、その味を楽しんできました。加工方法による分類では、紅茶のことを"発酵茶"、緑茶のことを"不発酵茶"と呼びます。ですが実は、この「発酵」とは納豆やチーズのような本来の意味の「発酵」ではなく、お茶の葉に含まれる酵素などを徐々に「酸化」させることを指しているのです。

 一方で、アジアの山間地では、お茶を本来の意味で「発酵」させた"後発酵茶"がつくられています。人びとは後発酵茶を食べたり、ガムのように噛むことで、その苦いような渋いような酸っぱいような味を楽しんでいます。

タイの噛み茶「ミアン」

東南アジア・タイでは、北部の山間地で食べるお茶「ミアン」が作られています。ミアンは発酵した茶の葉を長時間噛み、その味を楽しむことから「噛み茶」とも呼ばれています。

ミアン生産者がくらす村は、その景観から「ミアンの森の村」と呼ばれます。これは、ミアンをつくるためのチャノキが森の中で育てられていることに由来します。ミアン生産者はチャの葉を収穫し、その日のうちに木製の蒸し器で蒸します。蒸しあがった茶葉を竹の帯でまとめ、漬け樽(竹かごやコンクリート製のタンク、プラスチックバケツなど)に詰め込み重しをして、数か月発酵させます。

 ミアンは、食後の口直しやお客のもてなし、巻き煙草を吸う時に食べられます。「噛むと頭がスッキリする」という効果から、単調な手作業や農作業の合間にも口にされます。さらに、タイ北部の人びとは自分たちの嗜好品を神仏にもお供えしてきました。冠婚葬祭や日常的なお参りには、ミアンが入ったお供え物を持っていくのが一般的です。

ミアンは、まさにタイ北部での生活になくてはならない嗜好品なのです。

ミアンは「嗜好品」それとも「お供え」?

一方でタイは東南アジアの中でもいち早く工業化を遂げ、都市への人口集中や外資系スーパーの進出など、生活の近代化が進んできました。こうした中、都市に近い地域ではミアンを食べる習慣が徐々に薄れて行っていることがわかってきました。インタビューをした人の半数以上が「ミアンを食べたことがない」「食べる習慣がない」と回答したのです。ですが同時に、ほとんどの人が「ミアンをお供えとして買う」と回答しています。つまりタイ北部では、ミアンが「食べるための嗜好品」から「供えるためのモノ」として扱われるようになっているのです。

 将来、ミアンは「食べない発酵食品」になってしまうのか?「ミアンの森の村」にくらす人びとの生活にどのような影響が及んでいるのか?茶文化、山間地農業、森林保全、さまざまな観点からミアンの研究を続ける必要があると考えています。


9章.モンゴル国の馬乳酒「アイラグ」

アイラグ(airag)は、ウマの生乳を発酵させて作る飲み物です。日本語では馬乳酒と呼ばれますが、アルコール度数が数%以下の、微炭酸の爽やかな飲料です。遊牧が脈々と残るモンゴル国の草原部では今も多くの老若男女に愛され、各種の儀式にも欠かせません。夏はアイラグさえあれば食事はいらないという人もいるほどです。

モンゴル国の草原だけに残る家庭のアイラグ

2012年に気象観測網を利用して実施したアイラグの製造状況の全国調査によると、地域差はありますが、最も盛んな中央部では、夏場は毎日1日5~7回搾乳し、数時間棒で撹拌し一晩静置して作るというように、多大な人的エネルギーを注ぐアイラグづくりが家庭で行われていました。また、2013年に個別調査をした名産地ボルガン県モゴド郡の名人N氏宅では、早朝から午後まで馬乳を1~2時間おきにしぼり、それをスターターとなる前日のアイラグに加えて数時間攪拌し、合間の時間には、アイラグをひたすら飲んで楽しむ、という人手の必要な共同作業を伴う一日の流れがあり、夏の遊牧生活の中心にアイラグがあることに驚かされました。

 地域差があるとはいえ、なぜモンゴル国にだけ盛んな家庭のアイラグづくりが残ったのでしょうか。モンゴルで多く飼われてきた五畜と呼ばれる家畜のうち、ウシ・ヤギ・ヒツジは比較的狭い土地でも飼えるのですが、ウマやラクダを群で飼う際には十分な草、水、ミネラルを備えた広い土地が必要です。よって定住するとウマやラクダを群で飼うことが減り、アイラグをはじめとする畜産品を得るのが困難になります。モンゴル国の草原では今もこれらの自然条件を揃えた都市から離れた地域で遊牧が続けられています。その意味で、草原で作られるアイラグは遊牧のシンボルと言ってもよいでしょう。

名産地のアイラグ製法が消える前に

名人N氏宅では、搾乳期間である夏には、日中に仔ウマたちをゲルの前に繋ぎ、傍に寄り添う母ウマから日に数回搾乳し、夕方から朝までは母子を草原に放すという日帰り放牧が実施されていました。アイラグ作りに用いられる馬群は、夏のひと時、日中のみ拘束され、母子は常にともにあります。搾乳方法も、搾乳中は搾乳者とは別の介助者が仔馬を母馬のそばに添わせるという手のかかる独特な方法です。

近年、注目され始めた家畜福祉の鏡のようですが、母子が健全な関係にあることが、よい乳を得るために必要というのは、遊牧民にとっては当たり前のことなのです。

モンゴル国でも1990年の市場経済体制への移行後にはグローバル化の影響も加わり様々な変化が生じ、遊牧の存続も危ぶまれ始めました。アイラグの製法にもたとえば容器の変化のように、その影響が出てきています。モンゴル国に脈々と受け継がれてきたアイラグの製法や製品の質、そして発酵に関与する微生物を守ることは喫緊の課題です。


10章.東南アジアの餅麹になぜ新大陸起源の唐辛子が用いられるのか

旧大陸の伝統的発酵技術に、なぜ新大陸起源の唐辛子が組み込まれているのでしょう?もしかしたら、唐辛子研究者の目から東南アジアの酒づくりを見ると、新たな知見を得られるかもしれません。

東南アジアの一部地域では、現在でも伝統的な方法で醸造酒や蒸留酒がつくられており、そのときに必要となるのが餅麹です。餅麹は、水に浸しておいた生米をつぶし、さまざまな植物を加えて餅状に成形したもので、3000~4000年前には中国ですでに利用されていたようです。

竹製ストローで飲む壺酒

餅麹を細かく粉状にし、炊いたまたは蒸した米に加えて混ぜ、それを壺に入れて一定期間発酵させると、醸造酒ができあがります。東南アジアでは「壺酒」と呼ばれています。

 壺口は水などを加えて練った灰で密閉されています。それを取り除き、壺口ぎりぎりまで水を入れて、竹製のストローでザクザクと壺の中を突き刺し、もろみと水が混ざるようにします。そして、竹製ストローで酒を吸って飲みます。

壺酒は日本酒のような風味がします。はじめのうちは味が濃い(アルコール度数も高い)のですが、水を加えては飲んでいくので、だんだんと薄くなっていきます。もう出がらしだな、となったらおしまいです。

なぜ餅麹に唐辛子を用いるのか?

東南アジアでは餅麹の材料に唐辛子が利用されます。ただ、唐辛子は新大陸起源の作物ですので、どうして旧大陸の伝統的な麹づくりに唐辛子が利用されるのか、よくわかっていませんでした。そこで、カンボジアで餅麹に利用される植物を調べてみました。

 すると、サトウキビ、ネムノキ類、ニッケイ類などの「甘い植物」と、唐辛子、コショウ、ニンニク、ショウガ、ニクズク、チョウジなどの「香辛料」の利用が顕著でした。実は、ラオス、ミャンマー、マレーシアなどの東南アジア諸国やインド、ネパールでも、カンボジアと同じまたは近縁の植物が餅麹に利用されています。

 唐辛子を餅麹の材料に用いる理由についてカンボジアの人びとに聞いてみたところ、その餅麹でつくった醸造酒・蒸留酒が「熱く」「辛く」「強く」なるからでした。餅麹に利用される唐辛子以外の植物をみてみると、たしかに旧大陸起源の辛いまたは刺激の強い香辛料ばかりです。

餅麹が東南アジアにいつごろ広まったのかあまりよくわかっていませんが、少なくともインドネシアには9世紀ごろに中国人らによって餅麹が持ち込まれたといわれています。ということは、唐辛子の東南アジアへの伝播(400~500年前)よりもずっと前から、旧大陸起源のさまざまな香辛料を用いた餅麹が東南アジアの各地で利用されていたと考えられます。

 その後、唐辛子が東南アジアへ伝わり香辛料として利用されるようになったため、伝統的な製法技術に唐辛子が一つの要素(香辛料)として組み込まれたのではないでしょうか。つまり、唐辛子の餅麹への利用は東南アジアで多元的に発生した可能性が高いでしょう。